昭和52年05月13日 13日会
信心してお徳を受けたからと言うて、いつも平穏無事と、波風が立たないと言う事はない、お徳を受けてもやはり波風はあり、また決してお天気の日ばかりではないと、今朝からの御理解でございましたですね。それで思いますのはとにかく神様に日にちお縋りするより他にないと言う事が段々強くなっていく事だと言う事です。先日あの末永先生が南米布教に出ます時に、寄せ書きに家内が書いておったあの一言がもう段々強く私の心に迫ってくるんです。
それはなんと言う事かと言うと「神に縋りて」と書いてありました、もうとても素晴らしい事です、どんなにお徳を受けたからと言うて決してお天気の日ばかりでない、もう雨にもなろうか嵐にもなろうかと言う様な時であっても、ですから神に縋ってさえおけば大丈夫だと、どんな場合であっても、神に縋っておけばもう神にすがりてという、私はこの念が段々強くなっていく事が信心だと思うんです。
もうこれの事を頂いて、例えばならこれは私にすれば、ある難儀な問題が、はぁおかげであの人がおかげを頂いて解決したというたらその後にはまた大きな問題を持ってくるんですからね、もう普通で言うなら心が休まる暇が無い、ですからもうとにかくいつも神に縋りてという、神に縋るより他にないなあと言う事なんですよね、そして例えばなら雨であろうが、風であろうが信心させて頂いておかげを受けると言う事は、雨の時には信心と言う傘をささせて頂く、風の時には愈々風任せになる。
柳が折れないように、この任せ切った心ですがっていくと言う様なね、ものがただ垢抜けして身について行く事ですけども、もう縋って行くと言う事だけはもう恐らく私共がこの世だけではない、あの世でも矢張り神に縋りてと言う事が段々深く広くなっていく事だ思うです。どうでしょうか神に縋り、ちょっとやれやれ安心ちいうたらもうすがる事が、いわば、薄らいでいくというんですかね。
もう頼む事はないと言わんばかりの様に、例えば教会参りですら疎かになったりね、御祈念でさえ疎かにする様な事です。信心ができれば出来るほど、もう神に縋りてという気持ちはもう愈々強うなっていく、私は事だと思います。一つ本当に味わう私はあれ以来この何かに直面する時にはぁ神に縋りてだと思うんです、素晴らしい事ですその縋れれる、しかも絶対の神様を頂いておると言う事が素晴らしい事です。
どうぞ。